牧田重光は自分の後方に耳を傾けた。
いる。ついてきている。
駅からずっと、ついてきている者がいる。往来を行き来する大勢の足音、声、車のエンジン音、クラクション、それら騒音の中で牧田の耳は追跡者の足音を捕らえていた。
足早に帰路を急ぐ。
駅から200メートルも離れると、先ほどとは打って変わってさびしくなる。郊外の繁華街はそのようなものが多い。人が密集する所以外は開発が進まないのだ。
後、もう少しで居を構える住宅地に入る。が、牧田はそこで回り道をした。
今日は会社で、上司に失敗をなじられた。自分のミスならば納得出来たのだが、部下のミスであった。普通ならば、その部下を同じような目に合わせればいくらか溜飲が下がるのだが、部下は俗に言う二世社員であった。専務の息子である。親の手引きで入社したのは見え見えで、能力、勤務態度は著しく悪い。今回も取引先を怒らせる程の失敗をしておきながら、のほほんとしている。”いいじゃねぇか、俺が上に行った時を考えろよ?”上司に平伏し、相手先でコメツキバッタとなって帰った牧田を迎えた顔がそう言っていた。
家に帰っても、どうせ家内は寝ているだろう。夜更かしは肌に悪いとかいう理由で帰りも待ちもしない。おまけに、ダイエットするとかで変なものを俺にも付き合わせやがる。四十超えたババァが何がダイエットだ。
考えれば考えるほど、牧田の胸に狂暴なモノが育っていく。
お楽しみ、というものが一応ある。が、それは月に一度位ではあるし、それま後二週間も先だ。この累積したストレスを不満を一時的にでも解消するには・・・・・
「私に何か用ですか?」
牧田はゆっくりと振り返りながら訊いた。住宅地の建築予定地である。
基礎工事が終わっており、資材が山と詰まれている。さらに横手にずれると、小さな林がある。ここも、しばらくすれば住宅地になるだろう。
砂利を踏む音が、牧田の前方に涌いた。今まで何も聞こえなかった事から意図して音を出した事が解かる。
月光に引き伸ばされた影の足元には、牧田の想像したような人物は立っていなかった。
長引く不況のお陰で最近多発している路上強盗かと思った。半分眠ったような目で下唇を突き出し、背中を丸めて家路につくサラリーマン等は、彼らの絶好の獲物だろう。
そんな輩は大体外国人労働者であろうと、振り返った牧田の前に立っていたのは日本人の若い男であった。若い。少年と言ってもよい。高校生ほどだろうか。
牧田を見つめる目は冷めている。年格好は少年でも、目は年相応のモノではなかった。枯れた・・・という感じがぴったりの目である。ある極めてしまった事象を見て達観した目だ。左手はだらりと下げ、右手は背中に回しているのか牧田からは見えない。
「何かご用ですか?」
牧田がもう一度訊く。
男は答えない。答えない代わりに歩いてくる。牧田との距離は約6メートル。その距離をゆっくりと近づいてくる。
一歩、二歩、三歩・・・・・四歩。間合いだっ!牧田の右手が男の頭を薙ぎ払った。
甲虫の鈎爪のように変形・硬質化した中指・薬指・小指とクワガタのはさみのように伸びた親指と人差し指が男の頭をもぎ取らんと、弧を描く。
異形の腕は、しかし宙を掴んでいた。
「ザコが・・・」
いきなり右肩をつかまれ牧田は愕然とそちらを振り向いた。無表情な男の顔がある。
男は、ヌメヌメと不気味に光る牧田の腕に右手に持ったモノを押し当てた。刃渡り20センチメートル程のナイフである。肉厚の刃はナイフというよりも鉈に近い。
刃を腕に当てられながら、牧田は余裕であった。
・・・そんなナイフじゃ、俺の皮も切れねぇぜ。
右腕と同じように変形した左腕が男に向かってはしる。今度は外さない。
必殺の左が途中で止まった。止まったというか、バランスが崩れて牧田の身体が傾いたのである。前のめりにつんのめる。
あの野郎が何かやったのか?原因追求のため、男の方を向く。
男が見慣れたモノを持って立っている。黒く光って長細く、先端が鈎とはさみになっているモノ・・・・右肩が異様に軽くなっていることに気づいた牧田が自分の右肩と男の持っているモノを見比べる。言うまでもなく、それは牧田の右腕であった。日本刀の斬撃さえ苦もなく跳ね返すはずの皮膚が押し当てたナイフに切り裂かれ、腕を骨ごめに落とされていたのだ。
痛みはない。男が持っているのを見なければ、切られた事も解からなかったかもしれない。
左腕が動いた。牧田の頭上を超え、うねりながら男を襲う。
腕を振り上げるのに、コンマ01秒、腕の骨組織を分解し間接を10程再構築するのにコンマ3秒、男の頭上に到達するのにコンマ004秒、男の脳天に突き刺さるのに・・・・。
腕が止まった。男がナイフを持たない左手で牧田の左手首をつかんだのだ。
手首から嫌な音がした。硬いものを無理矢理擦りあわせた様な音、束ねた繊維が一本一本きれていく音。
めりめり、むぢっ。
生理的嫌悪感を掻き立てる音と共に牧田の左手首から先が消えていた。男の左手の中に移動している。男がねじ切ったのだ。
叫びを上げかけた牧田の口を男の手がふさぐ。そのまま躊躇なく、ナイフを横にして肋骨の隙間に差し込んだ。刃の根元まで差し込み、心臓の鼓動を刃を通して確認すると、手首をまわしてナイフを縦にした。刃の隙間から空気が入り込み、血が噴き出す。刃をこじるようにしながら引き抜き、男が牧田から離れる。
ひざをつき、うなだれるように血を噴き出す胸を見る牧田。男は動かない。
2秒・・・3秒・・・・。
出血量から見て、意識を失う時間までの時間はそう長くない筈である。
8秒を数えたとき、コキンと小気味の良い音がした。
コキン、コキンと連続する。12回で音が止まった。
数瞬の間をおいて、膝をついたままの姿勢で牧田の身体が持ち上がった。腰から上だけがゴムのように伸びている。腰から鳩尾までが緩い曲線を描き2メートル程伸び上がって、それから先・・・の当たりから急な角度で、男の方を向いて垂れ下がっている。ちょうどヘビが鎌首をもたげた形だ。
白目を剥き、唇の端から涎の泡を噴きながら牧田が男をねめつけた。
餓亜っッッッ!。
呼気のような、叫びのような声と共に牧田の身体がうねった。
左腕が跳ね上がり大きくアーチを描き、男の頭頂を狙う。手首は骨と肉が溶け合ったような色の銛状になっている。同時に上半身を地面スレスレに這わせ、蛇の如く大きく開いた顎で男の股間を襲った。
それに対する男の動きは殆どなかった。大きく横に跳んで躱すこともしなければ、防御の態勢をとることもしない。したとしても、銛と牙が軌道を変えて襲ってくるだろうし、腕や足で急所をかばっても、それごと破壊するに違いない。それだけのスピードであった。
男の行動は回避でも防御でもなく攻撃であった。血をこびり付かせるナイフを持った右手が霞んだ。瞬間、牧田の左腕が鈍い音と共に弾け飛ぶ。手首のスナップのみで投擲したナイフに切断したのだ。
涎の線を引き走る牧田の視界がいきなり急降下した。大きく開けた顎が砂利を食む。
打ち下ろした踵を止める事なく男はそのまま牧田の頭を踏み抜いた。
砂利を跳ね飛ばし、男の踵と地面から隙間が消える。プロレスの技にパイル・ドライバー------脳天くい打ちがあるが男はそれを足で文字通りに実行したのだ。
地面に打ち込まれた反動で牧田の下半身が跳ね上がった。
跳ね上がった瞬間、えびぞった状態から両足が男に襲い掛かった。
形容し難い絶叫が上がった。叫びというより音に近い。黒板を引っ掻く音を千倍に強化したような音だ。
牧田の両足の間に、男の右手が差し込まれていた。攻撃が届くよりも速く、手刀を叩き込んだのだ。
ビクビクと痙攣する牧田の足の間から、ゆっくりと手を引き抜く。
一際大きな痙攣とともに、男の手の先にあるものが外に引き出された。
口を持った巨大な眼球、視神経とも頚椎ともつかないものが肛門からつながっている。そして、その眼球らしきものが牧田の本体であった。
「クソ野郎が。」
男が眼球を握り潰す。牧田の両足がピンッと伸びる。遠目に見ると、人体で造ったYの字であった。
手の中に残った残骸を牧田の服でぬぐって男は踵を返す。
静寂が訪れ、男の姿が消えた後も月の光が奇妙なオブジェのライトアップを続けていた。

抜ける官能小説
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